2009年6月30日火曜日

メキシコの旅 12日目 - モンテ・アルバン

オアハカ2日目。
といっても、夜までにはメキシコ・シティに帰らなければいけないので、それほど時間はない。
朝早くから、オアハカ近郊の古代都市遺跡、モンテ・アルバン(Monte Alban)へ。

モンテ・アルバンへはオアハカからバスで30分ほどなのだが、これがすごい道を通る。柵もない細い崖道をかなりのスピードで登っていく。これはかなりのヒヤヒヤ物である。
Monteというだけあって、遺跡は高い山の頂にある。ソチカルコでも思ったが、なぜ中南米の古代人は高いところが好きなのだろう。作物は育ちにくいし、付近の村との往来は不便だし、周りから攻められたら逃げ場は無いし、いいこと無いと思うのだが。。。

さておき、モンテ・アルバンの景色はやはり素晴らしかった。このメキシコの旅を締めくくるにふさわしい絶景である。メキシコに来て最初に行った遺跡であるティオティワカンに匹敵する、あるいはそれ以上の感動だ。
昨日のツアーのガイド曰く、今残っているモンテ・アルバンは8割がた復元されたものだということだが、この際それはどうでもいい。何千年も昔にこの場所にこれだけの大きな祭礼都市があったという事実だけで鳥肌モンである。

 
それぞれの祭礼施設に登り、そこから古代人が眺めていたであろう景色に想いを巡らせ、興奮冷めやらぬままオアハカ市街に戻り、再びバスに乗ってメキシコ・シティへの帰路に着く。

  

2009年6月29日月曜日

メキシコの旅 11日目 - オアハカ・ツアー

朝からオアハカの街を歩き回る。
ソカロ(中央広場)の周辺は朝早くから大変な賑わいだ。

オアハカ市街から少し離れたところにあるスポットを1日かけて回るツアーに申し込む。ツアーの顔ぶれはメキシコ・シティからの二人連れ、スペイン人の夫婦、カナダ人の家族など。
アメリカから1人で来ていたおばあちゃんと、スペイン語があまり分からない者同士仲良くなり、始終盛り上がる。なんでも米軍人の家族としてドイツや韓国に赴任していたことがあるらしく、世界中あらゆるところを旅行して回ったが、中南米だけは今までノー・タッチだったとのこと。

ツアーのルートは、古代サポテカ族の都であったミトラ(Mitla)遺跡、石灰質の大地を湧水が溶かしてできたイエルベ・エルアグア(Hierve el Agua)、現代のサポテカ族が住む村の民芸品である毛織物工房など。
大自然が作る地形、古代人が作る建築、今の人々が作る手織り文様の美しさに、どれもこれも圧倒される。
 
ツアーにのせられて、物を買い込むことはすまいと思っていたが、ツアー終了後やっぱり毛織物が心に引っかかって、民芸品屋を探して部屋に敷くラグを購入してしまった。本当にエバンストンまで全部持っていけるのか?
 

2009年6月28日日曜日

メキシコの旅 10日目 - プエブラ

今日は我が居候先の友人Mも仕事が休みのため、Mとその同僚夫妻と連れ立ってプエブラ(Puebla)の街へ。

メキシコ・シティから高速道路を飛ばしていくのだが、市内を抜けると空気も澄み、とても気持ちいい。
車窓からポポカテペテル火山(El Popocatepetl)が大迫力で見える。車からの見え方は東名から富士山を眺めるのと同じような感じだが、車自体がすでに3,000m級の高地を走っているので、山の高さは海抜5,452mにもなる。この山は今も噴火を続ける活火山だということで、万年雪の頂から蒸気のくもが大きく吹き上がって空に連なっている。写真に収めようとしたら急に雲が出てきてうまく撮れず、残念。

さて、プエブラの町での大きな目的は、この地方特産の陶器であるタラベラ焼きの購入。Mも来年には赴任の任期が切れるということで、日本へのお土産用にと仲買商人のように大量購入をちらつかせ値引きを迫る。そのボリューム・ディスカウントに便乗する形で、ワインタンブラーとマグ、スープ皿を購入。果たしてこれらをエバンストンまで割らずに持っていけるだろうか?


遅めの昼食の後、メキシコ・シティに帰るMらと別れ、プエブラから4時間半ほど長距離バスに揺られてオアハカ州の州都、オアハカ(Oaxaca)へ。中央広場の近くに適当に宿を見つけ、落ち着く。

 

2009年6月27日土曜日

メキシコの旅 9日目 - クエルナバカ

今日はメキシコ・シティを離れ、バスで1時間ほどのクエルナバカ(Cuernavaca)へ遠出。

クエルナバカは小ぢんまりとした古い町で、造りはぜんぜん違うのだが京都の産寧坂界隈を思わせる雰囲気がある。
旧コルテス邸や、タスコ銀山を拓いたホセ・ボルダの造ったボルダ庭園など、街自体も見所はあるのだが、そこは後回しにして市内からさらにバスで1時間ほどのソチカルコ(Xochicalco)遺跡へ向かう。

ソチカルコは、「よくぞまあ」というくらい高い丘の上にある。今は舗装された道路が頂上まで通っているが、この遺跡が現役だった当時はさぞかし往来に苦労しただろう。


町に戻り、主だったところを見た後は、食堂に入り鶏肉のポソレ(Pozole con Pollo)とビール。ポソレはメキシコの郷土料理で、肉とトウモロコシを煮込んだスープにアボカドや玉ねぎ、揚げトルティーヤを入れて食す。ビールはミチェラーダ(Michelada)というライム果汁と塩を使った呑み方でいただく。どちらもこちらに来てから教わったものだが、これがおいしくて結構はまってしまった。

 

2009年6月26日金曜日

メキシコの旅 8日目 - フリーダ・カーロとメキシコ国立自治大学

再びコヨアカン方面へ散歩。

この前は時刻が遅くて入れなかった、フリーダ・カーロ博物館へ。
恥ずかしながら、フリーダ・カーロという人物についてはメキシコに来てから知った。なんでも映画に取り上げられたとかで、最近は日本でも人気がある芸術家らしい。
あまり絵や彫刻についてはよく分からないのだが、この人の作品が面白いのは作品それぞれによって作風がかなり異なるところ。写実的なものもあれば抽象画っぽいものもある。時期によって作風が大きく異なる画家としてはピカソが有名だが、この人もピカソのように、作風に変化を与えるきっかけとなる経験があったのだろうか、などと月並みな感想を抱きながら博物館を後に。

その後、最近建物の壁画が世界遺産に登録されたという、メキシコ国立自治大学(通称UNAM)のキャンパスへ。拾ったタクシーの運ちゃんは陽気に道中を案内してくれるのだが、信号が壊れて大混乱の交差点に突っ込んでいったり、大学構内を時速80Kmでぶっ飛ばしながら建物の解説をしてくれたりと、なかなかスリリングなドライブだった。

UNAMのキャンパスはとにかく広い。一周りしてやろうと思い歩き始めたのだが、とても歩いて回れる大きさではない。そもそもキャンパス内の道路が車での移動を前提に作られていて、校舎や広場の周辺以外は歩けるような道がない。早々に断念して中央図書館周辺の様子だけ見学。
図書館等の壁一面に描かれたモザイク画も素晴らしいのだが、なにより面白いのはメキシコの学生生活を覗き見できること。学生が思い思いにテラスに座って議論していたり、広場で大道芸部(?)らしき団体が練習をしていたりと、ちょっとした学生気分に浸れる。


博物館や美術館もいいけど、やっぱり旅をしていて一番興味をそそられるのは、こうした現地の人々の生の生活風景だなぁ。
 

2009年6月25日木曜日

メキシコの旅 7日目 - ソカロ周辺散策

メキシコ・シティの中心部であるソカロ(Zocalo)を歩く。

もともとの町をスペイン人が徹底的に破壊して作り直した街だけあって、見た目は完全にヨーロッパ風だ。カテドラル(大聖堂)を中心に周辺をぐるぐると回ってアラメダ公園へ。

この街を建造したスペイン人の振る舞いを現代で行ったら国際的な大問題になるに違いない。そしておそらくは新しく作られたものはことごとく拒絶され、元の姿に復古されるのだろう。だけど、今のメキシコは街並みも、人々も、言葉もすべて、土着のものとスペインのものが交じり合い独特の風情をかもし出している。ここらへんの「ないまぜ感」がメキシコの魅力なのかもしれない。

今晩は誰とも会食の予定がない、ということで我が宿主の仕事帰りを待つ間にメシなど作る。豚のしょうが焼きと蟹&アラ汁。日本食が恋しかろうということで作ったが、何しろ豚肉はウォルマートで売っている分厚いものしかない。なんかポークソテーみたいになってしまった。美味しかったからいいけどね。

 

2009年6月24日水曜日

メキシコの旅 6日目 - コンデッサでケロッグの集い

この秋からケロッグの同級生となるメキシコ人2人とその友人に、繁華街コンデッサ(Condesa)で落ち合う。4月にケロッグのキャンパスで行われた合格者イベント"Day at Kellogg"で知り合い、こっちに来てから連絡をとったのだ。

モヒートをあおりつつバーで一頻り盛り上がったあと、腹が減ったということでタコス屋へ。チキン, チョリソ, 豆, サボテンなど、いろいろな種類のタコスを勧められるがまま食す。トルティーヤにはトウモロコシ原料のものの他に、小麦粉を使ったものもあることを教わる。どれもおいしいけど、やっぱり口に合うのはオーソドックスな具がいろいろ入っているやつかな。

なんだかんだで遅い時間になり、また秋に会うことを楽しみに家路へ。

 

2009年6月23日火曜日

メキシコの旅 5日目 - チャブルテペック

メキシコ・シティ中心部のレフォルマ大通り(Paseo de la Reforma)へ。通り沿いに歩き、チャプルテペックという大きな公園に着く。

この公園の中には動物園や博物館が点在していて、日本で言う上野公園のような感じ。ぶらぶらと公園内を散策した後、国立人類学博物館(Museo Nacional de Antropologia)に入る。ティオティワカンから発掘された太陽のカレンダーなどを見て、ふんふんと分かった気になる。

ところで、今日はじめて移動にメキシコ・シティの地下鉄を使った。駅や車内の様子は写真の通りなのだが、日本であれだけ新型インフルが騒がれているにもかかわらず、人ごみでも誰一人としてマスクをしていない。

やはり心配性と騒ぎすぎは日本人の性なのか、ネタに困ったマスコミがとびついた話題に踊らされている人が多いのか。。。

夜はまたMの同僚夫妻を招いてディナー。

お互い料理を作って持ち寄るということで、我々はビーフシチュー、サーモンとホタテのカプレーゼ、茹で落花生(料理か?)など用意する。

久々に外食でなく、家での豪勢な食事となった。
 

2009年6月22日月曜日

メキシコの旅 4日目 - 休肝日

昨日の夜、我が居候ホストである友人Mの同僚夫妻を交え、成田で買ってきた日本酒で一献酌んだ。話弾み、夜中の1時過ぎまで呑み続けた結果、結構体に酒が残ってしまった。

学校から要請された事務手続きも諸々こなさなければいけないし、今日は休養にしよう。日本にいたときも合わせて、ここ1ヶ月くらい毎日呑み続けだったからね。休肝日。

というわけで、家の周りをふらふら歩いた以外は1日部屋でおとなしく過ごす。
 

メキシコの旅 3日目 - ティオティワカン

メキシコ・シティから車で1時間ほどのティオティワカン(Teotihuacan)遺跡へ。

朝結構早く出たのだが、もうすでにかなりの人がピラミッドに上っている。ピラミッドの周りの商売人のおっさんたちの、「ドウ?ドウ?ホトンド、タダ!」の攻勢を振り切り、いざ太陽のピラミッドのぼり!

このピラミッドは階段状になっていて、神社の石段を登っているようなものなのだが、実際上ってみるとかなりしんどい。日ごろの運動不足と高地ゆえの空気の薄さに加えて、石段ひとつひとつの段差が大きくかなり急なのだ。
結構ふらふらな状態で頂上にたどり着く。見渡す限りの遺跡と平原。さすがに気持ちいい。

 

2009年6月21日日曜日

メキシコの旅 2日目 - 在墨日本人のラテンな生活

Mが日ごろお世話になっている在墨日本人のバースデイ・パーティが開かれるとのことで、お邪魔する。

主役となるNさんはもうかれこれ30年ほどメキシコに住んでいるらしい。客には我々の他、現地日本人学校の先生夫妻、駐在商社マンの家族、大学研究生などなど。なんか皆メキシコがすきで住んでいるだけあって、ノリもどことな普通の日本人と違う。

Nさん自ら力作の手料理を大いに食べ、"サルー!"(乾杯!)を繰り返して呑んだあとは、音楽の時間。ギターやピアノのほか、さまざま取り揃えてあるラテン楽器を使って思い思いにセッション。久しぶりにギターを弾いて唄った。あー楽しかった。

 

2009年6月19日金曜日

メキシコの旅 1日目 - コヨアカン

メキシコへはまったくノー・プランで来た。
そもそもメキシコ・シティに何があるのかも良く知らない。
聞けば、メキシコでの居候先となる友人M宅の程近くに、コヨアカン(Coyoacan)なる歴史地区があるらしい。早速出かけてみる。

コヨアカンはスペイン人がメキシコ・シティを侵略する際、最初の拠点を築いたところらしく、シティ中心部攻略後はスペイン人の別荘地になったとのこと。


街並みはヨーロッパ調で、他の地区(といってもそれほど見てないが)と一線を画している感じ。しばらく広場に座って、人々の往来を眺める。
日差しは強いのだが、乾燥しているので不快な暑さではない。

9年ぶりに仕事を離れてのゆったりとした時間、実に素晴らしい。

 

2009年6月18日木曜日

旅立ちの日

出発当日になっても荷造りが終わっていない。 夕方出発の便にしておいてよかった。ぎりぎりまでパッキング作業をし、いよいよ旅立ち。

といっても、行き先はアメリカではなくメキシコ。サマー・スクールの始まる前に、2週間ほどメキシコ・シティの知人宅に居候して旅行するのだ。フライトはバンクーバー経由のJAL便。さすがに新型インフルエンザの影響か、空席が目立った。


ここ数日の怒涛のような準備の疲れからか、はたまた昨今米系航空会社では有料化されてしまった機内でのアルコールサービスをここぞとばかりに堪能したためか、あっという間に寝てしまっておきたらもうバンクーバー。ここで一旦降機し、1時間ほど待合室で待った後、同じ機体にあらためて乗り込む。

そしてメキシコ・シティに向けて再離陸。

メキシコ・シティの空港では、およそ1年ぶりの再会となる友人Mが待っていた。防人とは中学・高校時代の腐れ縁である。一言目から、「肥えた、禿げた、老けた」と。お前だって人のこと言えんぞ。

 

2009年6月17日水曜日

渡航前日は怒涛のごとく...

渡航前日である。
いや、もともとどだい渡航準備に無理があるとは分かっていた。何せ直前まで仕事で、引越、渡航である。いろいろと手がついていない手続きが山積している。

朝から予防接種の証明受け取り、国際免許の取得、住民票転出・保険・年金関連の手続き、銀行・郵便での手続き、ケロッグへの必要書類の送付など、かつてないほど分刻みで動く。なにせこの日を逃すと後がないのだ。

どうにかこうにかすべてやりきり、汗だくになった体を清めるべく、表参道で見つけた銭湯へ。「大きい湯船につかれるのもしばらくないから」と急遽探したのだが、表参道の駅から程近いところに1件存在した。場所柄似つかわしくないと思ったら、意外に地元民らしき人が結構いて、繁盛していた。おどろき。

さっぱりした体で今秋MBA留学者の懇親パーティへ。明日のパッキングができていないのに二次会まで行ってしまった。。。三つ子の魂というのかなんというか。まぁだからこそ得られるものも大きいのでね。

世の中では「断る力」が流行っているらしい。
私は「断らない力」を提唱したい。
 

2009年6月16日火曜日

夜逃げ

5年間住んだ家を引き払い、大きな家具は処分、それ以外はひとまず実家へ。当日になっても全く荷造りが終わっていないという自分の無計画ぶりに嫌気がさす。

ケロッグのあるエバンストンに持っていく荷物と実家においておく荷物を分別する時間もなく、引越屋が到着。急き立てられるように手当たり次第箱詰めし、発送。

不動産屋の実地検分の後、さらに最後の掃除と書類の整理。
終電近く、トランクを抱えて実家へ移動。まるで夜逃げだ。


 

2009年6月15日月曜日

退職の日

会社の最終出勤日。
といってもオフィスに決まった席が無いので、朝礼で挨拶したり花束をもらったりするわけではない。朝から、溜めに溜めた経費精算や貸与物品の返却などに走り回った後、人事に退職書類を提出。

実は防人はもともと会社は休職して大学院にいこうと考えており、その手続きも進めていた。だが直前に思い返し、進学後の面倒な手続きを避け、また自分に踏ん切りをつけるために、ぎりぎりになって退職という形に切り替えたため、人事にはいろいろ我侭を聞いてもらったのだ。感謝。

担当者からいろいろ説明を受けた後、守秘義務や年俸残額精算に関する誓約書にサインをし、退職完了。大学卒業から9年、いろいろな経験ができた一方、大組織ゆえに歯がゆい思いのすることも多かった会社だったけど、なんだかんだでやっぱり楽しかったなぁ。。。


夜は昔のプロジェクト仲間による壮行会。懐かしい面々に会う。
「向こうでの生活、Webに載っけてくださいよー」とのお言葉。はい、載せてます。
 

2009年6月14日日曜日

宴の後

会社同期のN氏夫妻とF氏が壮行会を開いてくれるとのことで、神楽坂でしゃぶしゃぶを堪能。一頻り話しつつ、ビール⇒日本酒⇒泡盛と呑みを展開。最後にはかなりフラフラだった。

でも楽しかった。ありがとう!!
 

2009年6月13日土曜日

MBA受験生向けパネル・ディスカッション

MBA受験の際にお世話になった予備校の主催で、主に今年MBA受験を目指す人向けのセミナーにパネリストとして参加する。

自身を振り返ると、去年の今頃は全く準備に動いていなかったわけで、みんな意識が高いなぁ、と妙な感心。こんな自分が偉そうにしゃべっていいのか、という疑問を感じつつ、気持ちよくいろいろ話す。

受験生の皆さんへ:
MBAの受験は、長く、しんどく、周りからの理解も得られにくい作業ながら、自分自身を見つめ直し、新たな人々に会うチャンスだと思います。今から思えば結構楽しいものでした。是非頑張って最後まで走りぬいてください。


2009年6月12日金曜日

最後のプロジェクト

半年弱お世話になったクライアントでのプロジェクト最終日。
借りていたブースや物品の整理など行った後、あいさつ回り。
朝の3時4時まで働いていたのが遠い過去のようだ。

夜、自分がメンタリングしている若手コンサルタントと共に定例の勉強会。
9年弱働いたこの会社での最後の仕事。ちょっと感慨深い。
2年間の勉強を経て、またこいつらに会ってみたい、と思う。