2009年8月18日火曜日

エバンストンへ鉄道で4,000km - 3日目

アメリカ内陸部の平坦な地形が続く。

昨日までは調子よく飛ばしてきた我がカリフォルニア・ゼファー号だが、今日は単線での貨物列車との行き違いのタイミングがうまく合わず、長く停まっていることが多い。気づけば、時刻表より3時間の遅れになっていた。

遅れを取り戻すべく、列車はかなり飛ばす。ミシシッピ川を超えてついにイリノイ州に到達した頃には、遅れは2時間ちょっとまで縮まっていた。イリノイに入ってしばらくすると、メトラ(Metra)というシカゴの近郊列車と線路を共有するようになり、町並みも草原一辺倒から若干賑わいが出てきたようだ。そろそろ、サンフランシスコからシカゴまでの長かった旅も終わり。
 
 
シカゴの摩天楼が見えてくる。都市規模としては日本の名古屋くらいだが、砂漠と草原ばかり見てきた目にはとても大きな都会に映る。列車はシカゴ・ユニオンステーションの18番線に到着。
 
 
ユニオン・ステーションには、長距離列車用に空港のようなバゲージクレームがある。自分の荷物とクレーム・タグを引き換え、外に出る。
 
 
エバンストンへは、ユニオン・ステーションから3ブロックほど離れた別の駅、オギルビー・トランスポーテーション・センター(Ogilvie Transportation Center)から、メトラのUP-North線で20分ほど。いよいよ、これから2年間を過ごす、エバンストンの街に到着。
 
 
今日は、ケロッグの日本人上級生が新入生を歓迎する呑み会が開かれる予定。アムトラックの遅れのせいでぎりぎりになってしまったが、トランクを抱えたまま会場に駆けつけ、渡米前に何度か会っていた同期や、4月に行われた合格者イベントDay at Kelloggでお会いした上級生と再会、気持ちよく酔いどれる。なんか自分の家に戻ってきた気分。
   
 

2009年8月17日月曜日

Stanford EFSについての事後考察

相変わらずシカゴへの列車の車中だが、ここでStanford EFSについてのまとめをしてみたい。

そもそも、サマー・プログラムとして私がStanford EFSを選んだのは以下の理由からだ。

・講義形式で会計学や統計学を学ぶサマーもあるが、知識系は自分で何とでもなる。それよりむしろ英語でのディスカッション中心の内容がいい
・ケロッグが提供するサマー・プログラムもあるが若干期間が短く(4週間)、もう少し時間をかけたい
・よくあるESL(English as a Second Language)プログラムのように、遊び感覚で来ている人が多いものは避けたい
・かといって、MBA進学者に特化したプログラムでは、学生の経歴・専攻にダイバーシティが無くつまらない
・いずれエバンストンで2年間過ごすことになる。どうせなら中西部とは気候や文化の異なる環境を体験したい

結果的には、Stanford EFSはこれらの条件に当てはまる、有益なプログラムだった。

終わってみて良かった点
・学生はみな真剣で優秀な大学院進学予定者か交換研究員
・大学院での選考はビジネスに限られず、工学, 地学, 法務, 政治学, 国際関係など多岐にわたるため、いろいろな視点や「人種」に触れられた
・勉強はそれなりにきっちりとやる(特に後半はアサインメントが結構出る)が、図書館にこもりきりになるほどではなく、ちょうどいいバランス
・アサインメントはグループ・ワーク形式のものも多く、チーム重視のケロッグの授業の準備になった
・(これは結果的にだが)日本人の少ないセクションになり、国籍の面でもダイバーシティが確保された
・北カリフォルニアの気候最高!! 広大で美しいキャンパス最高!!
・ヨセミテやナパなど、週末も観光には事欠かない
・なにより、これからも交流を続けたい多くの仲間ができた

もう少し何とかなれば…と個人的に思った点
・学費・寮費ともに高い!!
・スタンフォード以外に進学する人にとっては生活のセットアップが二度手間になる
・カリフォルニアは車社会。無くても何とかなるが結構大変
・寮内でも英語を多用することを期待して3人相部屋にしたが、ルームメイト(アメリカ人とアラビア人、いずれもPhD学生)がシャイなうえ、お互いの生活サイクルも異なり、あまり交流が無かった

多分に私個人の状況に依存するものもあるが、総合的には実に満足のいくプログラムで、選んで正解だったと思う。

 

エバンストンへ鉄道で4,000km - 2日目

サンフランシスコからシカゴまでの汽車旅2日目。

朝5時ころ、効きすぎの冷房で目が覚める。場所はどうやらソルトレイク・シティを過ぎた辺りのようだ。ふと気づくと、腕時計が指す時刻と携帯の時刻が異なっている。タイムゾーンを越えたためだが、こちらの携帯はタイムゾーンの修正を自動でやってくれるらしい。なかなか賢いもんだ。

昼ころ、ロッキー山脈を抜けた後はひたすら砂漠と大平原。時折、車掌が観光案内を放送してくれる。バッファローの大群などに遭遇することも何回かあり、そのたびに乗客が歓声を上げる。


 
突然の車内放送。なんでも乗客の誰かがトイレに異物を流して下水系統がいかれてしまったのだとか。「家で子供がやったらあなたも怒るでしょ!!」と誰とも分からない犯人に対してキレ気味の車掌の声。デンバーでエンジニアを呼んで修理するんだそうで、時間確保のために急いできますとの事。
 
デンバーへの到着は午後5時。時刻表上の予定より3時間近く早く着いた。どこをどうごまかしたのだろう。「やればできるじゃないか」と褒めてもいいことなのか?
 
   出発は予定通り8:10、というわけでデンバーの街にあるカフェから更新。
 

エバンストンへ鉄道で4,000km - 1日目

1ヵ月半を過ごしたスタンフォードを離れ、エバンストンへの移動の日。

普通なら飛行機で飛んでいくのだろうが、今回は鉄道を使って行くことにした。鉄道にしろバスにしろ、私は地を這って行く旅が好きだ。道中、風景の移り変わりやそこに住む人々を間近に感じることができるし、なにより時間をかけて移動するのは長い距離を旅をしているという実感が持てる。

早朝5時半、呼んでおいたタクシーに荷物を載せ、寮の部屋の鍵をハウジング・オフィスのポストに投げ入れて、ひっそりと出発。

シカゴまでは、サンフランシスコからベイブリッジを渡った対岸にあるエメリービル(Emeryville)から、アムトラックのカリフォルニア・ゼファー号(California Zephyr)が1日1便運行している。途中、ロッキー山脈あり、砂漠あり、大平原ありの風光明媚な路線で、総延長は実に4,000km! 乗車時間2日半の汽車旅だ。エメリービルまではサンフランシスコのカルトレイン(ベイエリアの近郊列車)駅から接続バスが出ていて、本来はパロアルトからもカルトレインを利用して乗り継げるのだが、あいにく今日は休日。休日のカルトレインは始発が8時過ぎという閑散ぶりなので、サンフランシスコまでタクシーで行かなければならない。

アメリカの鉄道事情は日本のものとはだいぶ異なる。昔はアメリカ全土に旅客鉄道網が形成されていたらしいが、飛行機や自動車が主な移動手段を占める現在では、長距離旅客列車はほとんど廃止され、前述のアムトラック(Amtrak)という半官半民の会社が物好き用に僅かに運行するのみ。サンフランシスコのような大都市の最寄であるエメリービルでも駅は驚くほど小さい。これでも駅員が居るだけまだいいほうで、ほとんどのアムトラックの駅は駅であることさえ分からないような無人駅なのだ。

ちょっと早く着きすぎたのでエメリービルで時間をつぶし、9時ちょっと前に、今後3日の移動手段であり宿でもある列車に乗り込む。車両はアメリカらしく大型で、座席も相当余裕がある。防人の短い脚では前のフットレストが遠く感じるくらいだ。食堂車やラウンジ・カーというのも連結されている。アムトラックを使っての旅は、9年前初めてアメリカに来たときに鉄道とバスで東半分を一周して以来だが、車両やサービス内容はその時からあまり変わっていないようだ。

 

ゆっくりとエメリービルを発車した列車は、途中カリフォルニアの州都サクラメントやネバダ州の小さなギャンブル・タウンであるリノを越えていく。雄大な山景色を眺めたり、iPhoneのナビに見入ってみたり、食堂車で老夫婦と夕食をしたりしているうちに時間は過ぎ、汽車旅1日目は暮れる。

 

 動画: ラウンジ・カーから山間の景色を望む

 

2009年8月14日金曜日

Graduation Day - Stanford EFS

楽しい時間はあっという間に過ぎ去る。

今日はStanford EFS修了の日。午前中はそれぞれのクラスで成績表をもらったり、講師へのフィードバックを書いたり。成績のほうは、一言で表すと「あんた英語はパーフェクトではないけどよく頑張りましたっ!!」ってな感じで、まあご祝儀的なもんでしょう。
 
午後からは講堂で簡単な修了式めいたものがあり、各人名前を呼ばれてCertificateをもらう。その後場所を移してパーティ。大半の受講生はそのままスタンフォードに進むが、私は今日でみんなとしばしのお別れ。
 
勉強に遊びに仲間づくりに、とても濃密な6週間だった。
EFSについての総括はエバンストンへの道中を利用してまたまとめたいと思うが、このプログラムで一番価値があるのは、これまでの経験やそれぞれの院進学後の専攻が全く違う人たちと毎日顔を合わせて学習や議論ができる環境だと思う。クラスメイトは、ブラジルの投資銀行のCFO、なぜかNPOをやっている医師、3,000人規模の会社の社長、中国のアントレプレナー、学者の卵、韓国の外交官、裁判所の判事さんなど、みな腕に覚えのある人たちばかりだ。こういう人たちと知り合って長い時間を共に過ごせる機会というのは、他のサマー・プログラムではなかなか無いのではないかと思う。
 
カリフォルニアとイリノイは遠いが、これからもぜひIn toutchでいたい仲間だった。
 
 

2009年8月13日木曜日

キャンパスの小さな住人

前日までJapan Nightの準備に追われ、終了後は興奮冷めやらぬままに大吟醸をあおった結果、ケース・ディスカッションの予習と午後一のプレゼンテーションの準備を全くやっていないまま昨夜寝てしまった。(別に昨日に限らずいつものことだけど...)

朝早く起きてやるべく、早朝のキャンパスを図書館に向かって歩いていると、かわいい家族に遭遇。
 

リスはしょっちゅう見るけど、野生のアライグマまでいるとは。さすがアメリカのキャンパス。
 

追:

いろんな人からJapan Nightについての賞賛をもらう。素直にうれしい。あるクラスメイトからは、「お前、このことレジュメに書けるよ」と。目指せ、プロフェッショナル宴会部長への道!

 

2009年8月12日水曜日

Japan Night@Stanford

ついにJapan Night@Stanford当日。

朝から当日分の食材買付けに走り回った後、会場のセットアップ。授業を終えた日本人学生が徐々に集まり、準備は佳境へ。いろいろな事情で事前の企画ミーティングなどには参加できなかった日本人も、「何かできることがあれば」と集ってくれる。ありがたい。準備もひとまず落ち着き、めいめいに浴衣や甚平、お祭りの法被などに着替えて、いざ本番。
 

このJapan Nightはちょうどお盆の時期にあたるということもあり、日本の夏祭りをモチーフにした。食べ物は、手巻き寿司、おでん、カレー、たこ焼き、焼きそば、うどん、そば、おむすび、カキ氷、それに日本酒の利き酒と焼酎、日本のビールなど。またカルチャー&エンターテインメントのアトラクションとして、ヨーヨー釣り、折り紙、書道、剣玉・独楽、TVゲームを体験できるブースと日本の風景のスライドショーを設けた。事前宣伝の甲斐あって、$10のチケットが70枚弱はけている。無料の子供を含めると、80人以上が参加してくれる計算だ。EFSプログラムの受講生が全体で50人ちょっとであることを考えると、学生の家族や講師を含めたとしてもこの人数はかなりの参加率だ。彼らの期待に身が引き締まる。

開始時間の6時を過ぎ、徐々に人が集まる。やはり最初の人気は見て分かりやすい手巻き寿司。何度も何度も繰り返し列に並ぶタイ人あり、鮭とイクラを取って、独自に「親子巻き」を編み出すブラジル人あり。
 カルチャー&エンターテインメントのブースで意外に人気だったのはヨーヨー釣り。風船の柄がキュートだということで、子供はもちろん大人まで夢中になる。中には12個釣り上げて両手に抱えきれないヨーヨーにご満悦の子も。「この風船はどこに売っているんだ?」と聞かれ、「数日前にこちらに合流したEFS生の奥さんに日本から買ってきてもらったんだよ」と答えると、「こっちでは売ってないのか」と本当に残念そうな顔をする。
 
こういうイベントでの鉄板企画である書道もやはり人気が高い。みな嬉しそうに自分の名前が漢字で書かれた半紙を持って帰る。文字を書く側の日本人や他のアジア人の中で、意外な達筆っぷりが発揮されて一躍尊敬を集める人も。
 

展示コーナーに置かれた日本のファション誌は、女性たちの関心の的。 

クライマックスには盆踊り。日本のお盆の精神がどこまで伝わったかは"?"だが、なんとなく面白さは伝わったようだ。最後に三本締めで会を締めくくり、大盛況のうちにJapan Night@Stanfordは幕を閉じた。 

ちょっとした個人の思いから開催を提案してから3週間。短い期間で手探りの状態だったが、提案に賛意を示し協力してくれた方々のおかげで非常に楽しいパーティにすることができた。あらためて、協力してくれた日本人学生、EFSプログラムのコーディネーター、そして当日参加してくれた皆にお礼を言いたい。本当にありがとう。
 
 

2009年8月11日火曜日

Japan Night前夜

いよいよJapan Night@Stanfordが明日に迫る。

当日ふるまう料理のうち、時間がかかるカレーとおでんを今日のうちに拵えておく。さすがはカリフォルニア、日本食スーパーに行けば練り物だろうがカレールーだろうが何でも揃う。肉もアメリカの「どーんっ」という感じのヤツではなく、ちゃんと日本っぽい豚コマやシチュー用の角切り牛だ。

料理隊長の指揮の下で黙々と大根の皮むきと面取りにいそしむ。ちょっとした学園祭準備気分。懐かしい感覚。
 

2009年8月10日月曜日

I-20で大わらわ

またしてもI-20でトラブル。

数日前、今私が住んでいるスタンフォードの寮にノースウェスタン大学からI-20(アメリカの教育機関への在籍を示す公的書類。学生ビザの資格を保持するのに必要な超重要アイテム)が郵送されてきた。これはちょっとおかしいぞ、と首をかしげる。
前にも書いたように、私はアメリカ学生ビザの手続き上、スタンフォードからノースウェスタンに転学という形になる。この場合本来であれば、転入先となるノースウェスタンのI-20はスタンフォードでの課程終了までホールド状態になっていて、エバンストンに移動したあと転学手続きの書類をノースウェスタンに提出してから発行される仕組みになっている。なので今の時点で私のところにI-20が送られてくるはずがない。

ケロッグのInternational Officeに問い合わせてみたところ、案の定「間違えたー。送ったI-20は無視して」との回答。これから新しく転入用のI-20を準備するという。おいおい、困るではないか。私は来週の土曜からケロッグの学期前アクティビティ(要は新歓合宿みたいなもの)でペルーへ行くのだ。米国外へ出る時に有効なI-20を持っていないと、米国に学生ビザで再入国できなくなってしまう。

I-20の発行手続きは通常ならば早くても2週間程度はかかる。それではとても間に合わない。ケロッグの担当者は「なんとか急いでみるよー」と言うが、ホントに大丈夫だろうか...
 

2009年8月5日水曜日

掘って掘って、また掘って...

Japan Nightで盆踊りをすることに。
外国人に教えるにも、まず我々が踊り方を知らないといけない。
ちょっと検索したら、こんなものが。

炭坑節.jp
http://www.tankobushi.jp/index.html

世の中、いろんなことに情熱を燃やす人たちがいるもんである。
 

2009年8月2日日曜日

灼熱のアリゾナ 2日目 - 華氏116度でゴルフデビュー

昨日の夜、今回の訪問先である友人が「明日、ゴルフ予約しといたぞ」と一方的な宣言。

防人は日本にいるとき、ゴルフを極力遠ざけてきた。打ちっぱなしはほんの1, 2回だけ行ったことがあるのだが、まず球がまともに飛ばない。そもそも、小さい球を穴に沈めることの意義がよく分からない。スポーツというものは、アメフトにしろマラソンにしろ、戦争の陣取り合戦を模していたり歴史的な謂れがあったり、なにかしらそれっぽいルーツがあるもんだが、穴に球を入れることにどんなルーツがあるのだ?

そんな風に強がってみたものの、やっぱりできたほうが楽しいかなー、と思って、実はここんとこスタンフォードのキャンパスにある打ちっぱなしでちょこっとだけ練習していたりした。そうは言ってもドのつく初心者だ。コースなんてとんでもない、と思っていた。

球が前に飛ばないんですけど...?「大丈夫何とかなる」。用具を何も持ってないよ...? 「一揃いセットが余ってるから一式貸してやる」。
週に最低2回はゴルフに行くというそいつの半ば強引なセッティングのもと、友人夫妻とともに朝からコースへ。サボテンのニョキニョキ生えるコースにじりじりと照りつける太陽。絵に描いたようなアリゾナ。

実際やってみると下手なりに楽しめるもんで、結局フルラウンド廻ってしまった。まぁ、もちろんスコアは惨々たるもんだけど。。。
あわや自分の身長の数に届こうかというスコア表を手にして、2年後日本に帰るまでにはバリバリに勝負できるようになってやろう、と防人は心に誓うのでした。


帰りがけ、温度計が差していたのは華氏116度(摂氏約47度)。そりゃ暑いわけだわ。。。
 

2009年8月1日土曜日

灼熱のアリゾナ 1日目 - セドナ

またしても友人訪ね歩きの旅。

高校時代の友人がアリゾナ州フェニックスにあるビジネス・スクールに通っており、まもなく卒業。余談ながら、私が高校時代仲良かった友人は今ことごとく北米大陸に来ている。なんか国を出たくなるお年頃なのだろうか。最初、今回の友人とはシカゴで会おうなどと言っていたのだが、都合折り合わなかった結果、一生のうちおそらく二度と来る機会はないだろう灼熱のフェニックスを訪ねることに。

昨日の夜に移動し、アリゾナ1日目の今日はフェニックスから2時間のセドナ(Sedona)に連れていってもらう。なんでもセドナはインディアンにとっての聖なる地で、癒しのエネルギーが放出されているとか。

現地在住のガイドさんがトレイルを案内してくれる。ところがこのガイドさん、セドナに住んでいるだけあってやたら会話がスピリチュアルな感じ。「ここら辺の人々は、法律や規則ではなく宇宙の法則にしたがって生きているんですよー」とか「サイキックを操る私の友人の一人が、チャネリングしたところによるとー」とか、当たり前のように会話に出てくる。まあこの際信じたもん勝ちだということで、エネルギーの渦(Vortex)から湧き出る不思議なチカラを感じようとしてみる。

むむむ、なんか感じてきたかも。。。

上の写真はサンダーマウンテン(Thunder Mountain)。ディズニーランドにある例のアトラクションは、ディズニー翁がこの地で瞑想をしているときに思いついたんだそうな。

こちらはベルロック(Bell Rock)。男性性のエネルギーが大放出されているポイントらしく、「元気」になるとか。実際に近くに行ってみて感じた効果のほどは...どうなんでしょう?

そんなこんなで1日フルに使って大自然のエネルギーを感じてきた。
帰りがけ、トレイルでちょっとつまづいたところ、件のガイドさんが「将来に不安がありますね。それも左足は自分の内面を表します。自分自身と向き合わないと、将来拓けませんよ」。  これって、もしかしたらMBA後に就職できないってこと!?
 

2009年7月30日木曜日

サービスの「詰め」

巷でよく言われるように、アメリカのサービスはどうも詰めが甘いところがある。

友人数人とともに部屋で夕食をとるにあたり、「ピザを取ろう」ということになり注文。Webサイトで郵便番号を入れると最寄の店舗が出てきて、オンラインでオーダーができる。Lサイズのピザをハーフ&ハーフで頼む。

ところが、注文確定後ほどなくして、件のピザ屋から携帯に電話が。「今Lサイズの生地を切らしててー、次に補充されるまでまで3時間くらいかかるんですけどー、どうします?」  「どうします?」も何もないもんだ。なんか代替案を提示せーよ、と思いつつMサイズに注文を変更。

さらに20分ほどして、また同じ店から電話。「あのー、うちのボスがー、そちらの地域には50ドル以上の注文じゃないとデリバリーしないって言っててー、どうします?」  いいかげんにしろ。ネエちゃんもいい歳して(推定)「ボスがー」じゃねーよ。ガキの使いか!! ...などと憤ってもはじまらないので、あきらめて別のチェーンで注文した。そんなポリシーがあるなら初めからWebに書いておいて欲しいもんだ。

次なるトラブルは携帯の料金支払い。
AT&Tの店員いわく支払いはオンラインで可能ということだったので、AT&TのサイトからMyAccountにログインしようとする。ところが、初回ログイン時の手続きとして、Social Security Numberの下4桁をWebサイトが要求するではないか。これは困る。留学生である私はSSNを持っていない。携帯を契約するときもSSNは要求されたが、高いデポジットを払うことでそれは回避できた。そういったSSNを持たないユーザーも一定数居るはずなのだが、このWebサイトの仕様は何なのだ。

カスタマーサポートに電話して事情を説明するも、「これはトリッキーなシチュエーションだねー。HAHAHA…」と。何たるロジックエラー。結局いろいろゴネた末、オペレーター側でマニュアルで認証をして、ダミーのSSNコードを発行してもらった。

どうもこの国のサービスはおかしい。。。

 

2009年7月29日水曜日

EFSの授業

いつも遊びのことばかり書いているので、ちょっとは授業のことなど。

Stanford EFSには主にこれから大学院生になる学生と、企業・官庁等からVisiting Scholarとして来ている外国人がいる。授業は午前と午後に分かれており、午前はそれぞれの専攻分野別に編成されたセクションでライティング中心の授業、午後は各分野入り混じって最初のセクション分けテストの結果にしたがって分けられたセクションでプレゼンテーションやディスカッションを行う。


私は午前の授業はビジネスのセクションに入っているのだが、ことビジネスセクションに関しては、ライティングの授業もケースを使ったディスカッションが中心になっている。ケース・ディスカッションにはビジネススクールでやるような問題分析・意思決定に関するものもあれば、ロールプレイもある。

ロールプレイのひとつの例として、この前はタウンホールミーティングというものをやった。ある町にある電機会社の工場が汚染物質を垂れ流しているという設定のケースを読んだあと、市の役人, 会社, 環境保護団体, 労働組合代表, 住民代表などに役割を分けて、それぞれプレゼンテーションを行う。

初回のタウンホールミーティングでは、会社側と環境保護団体側がそれぞれデータとパワーポイントを駆使しながら自分たちの主張を訴え、労働組合や住民を交えて議論をする。模擬ではあるが、どの役も工夫を凝らしたプレゼンテーションだ。ほとんどの受講生は30を超えたいい歳なのだが、皆必死。
タウンホールミーティングの結果を受け、次の週には市の組織の役が最終的な解決案を提案する。どちらの言い分もそこそこ取り入れられ大岡裁きで大団円、と思いきや、市側の裁定に納得いかない各団体がそれぞれ噛み付き、また大議論に。ここらへん、権力者の提案がどうであれ守るべき立場は守る、という他国の価値観を感じられて面白い。

一通りディスカッションをした後は、その内容についてレポートを書くという形でライティングのアサインメントが出る。また、週に1回はビジネスや経済学を専攻しているPhDプログラムの学生がリードし、専門的な立場からケースの内容に深く突っ込んだ議論をするセッションもある。

もちろん受講生は留学生ばかりなので、ネイティブ・スピーカーが参加する本物のビジネススクールの授業には及ばないものがあるが、純ドメの私にとっては、「ならし」という意味では結構有意義な授業内容だと思う。

   

2009年7月25日土曜日

早いぞ 安いぞ ..!?

レンタカーを借り、パロアルトから南のモントレー(Montrey)までドライブ。

途中にあるギルロイ(Gilroy)という町では、Garlic Festivalという奇妙な祭りが行われていた。なんでもこの町は"Garlic Capital of the World"を自称していて、祭りではGarlic Ice Creamなんてものの出店まで出現するとか。この祭、どうやら地元では結構有名らしく、見物に行く客で高速道路が大渋滞していた。

モントレー自体は期待していたほどではなく、「ま、こんなもんか。。」という感じ。こちらに来てからメキシコやヨセミテなどいろいろ廻ったせいか、風光明媚な景色や自然のスペクタクルに目が慣れてしまったのかもしれない。

モントレーからは、州道1号線でサンタクルーズ(Santa Cruz)を通りハーフムーン・ベイ(Half Moon Bay)まで海岸線を北上、そこから山を越えてサンフランシスコ半島を横断して戻ってきた。こちらはいかにもカリフォルニアといった風情。ちょっと曇りがちで霧も出ていたのが残念だったが、晴れていればさぞかし気持ちいいだろう。

帰りに、クパチーノ(Cupertino)の町に立ち寄る。元シリコンバレー勤務のケロッグ日本人上級生が、「シカゴには無いからぜひ喰って来い」というので、この町にある日本が世界に誇るYoshinoya Beef Bowl Restaurantへ。こちらは牛丼だけでなく、チキン丼や野菜炒め丼、クラムチャウダーやクッキーまでおいてある。日本の大盛の感覚でLarge Sizeの牛丼を頼んだら、こんなのが出てきた。。。


肝心のお味は...、見た目とは裏腹に日本のものとほとんど同じ。多少お米の食感が異なるかな、というくらい。このお店、アメリカ人にも人気があるようで、結構な客がいる。シリコンバレーのビジネスマンは、特大サイズのペプシと一緒に牛丼をスプーンで食べながら、今日もイノベーションへの力を蓄えているのです。

 

2009年7月23日木曜日

Japan Night @Stanford を企画する

ケロッグで恒例となっているイベントに、Japan Nightというのがある。
日本の文化や生活について興味を持ち、より深く知ってもらうために、日本人学生が毎年主催しているのだ。

世界における日本のプレゼンス低下については、日本人アプリカントへの学校側の関心の薄さという形で、MBA受験時に痛いほど実感してきた。また、アメリカに来て他国の学生と話しても、日本という国や日本企業はかつてほど関心をもたれていないのは確かなようだ。
私は別に国粋主義者でも覇権主義者でもなんでもないが、自分の国がだんだんとその地位を落としていくのはやはり見るに忍びない。日本にはもっと盛り上がってもらいたいし、他国からも「いい国」「パワーのある国」として見てもらいたい。
そんな思いから、Japan Nightというイベントは今から結構楽しみにしているのだ。

今はサマー・プログラムでスタンフォードに来ているが、このプログラムにもさまざまな国の学生が集まっている。ブラジル、中国、韓国、タイ、サウジアラビアなどなど。学生のほかにも、講師やティーチング・アシスタントのアメリカ人大学院生もいる。これはケロッグでのJapan Nightに先立って同様のイベントをやるにもってこいではないか。しかも何といっても、今は秋以降の本学期に比べると相当時間に余裕がある! そんなわけでJapan Nightを勝手にStanford EFSで行うことにした。

日本人学生に声をかけ、イベント実施の提案と企画参加の呼びかけをし、今日第1回目の打ち合わせ。 みんな来てくれるか不安だったが、ぽつりぽつりと人が集まり、1回目としてはまずまずの話し合いができた。

プログラム終了まであまり日もないが、なんとか開催にこぎつけて成功させたい。
 

2009年7月21日火曜日

サンフランシスコで旧友と再会

アイダホにある原子力関係の研究所に勤めている高校のときの同級生が、今週UCバークレーで開かれる研究会に出席するためベイエリアに来るとのこと。
授業後、サンフランシスコまで出てチャイナタウンで一緒にメシを食べる。

その友人は大学以来ずっとアメリカに行ったきりなので、実に10年ぶりくらいの再会だ。
高校のときのバカ話や、多少まじめな話など織り交ぜつつ、楽しく呑んだくれる。

なんだかんだでカルトレインの終電まで呑んで、スタンフォードに帰ったのは夜中の1時過ぎだった。
 

2009年7月19日日曜日

ヨセミテ国立公園

なんか遊びのことばかり書いているような気がするが、それも今のうちということで、週末を利用してヨセミテ国立公園に行ってきた。

パロアルトから車で4時間半ほど。日本だと結構遠いと思ってしまう距離だが、アメリカだとすごく近くのような感覚になる。不思議だ。

土曜日の朝に集合し、ヨセミテに入ったのは昼過ぎ。

この季節は観光客が最も多くなるシーズンのため、ヨセミテ中心部のホテルや山荘はかなり前から予約しないと取れない。我々がとったのはヨセミテ谷から40分ほど手前に位置する川沿いの宿。

1日目は、Bridalveil fallsというちょっと甘い名前を持つ滝や、ヨセミテのランドマークであるYosemite Fallsを見てまわった後、ヨセミテ谷を見下ろせるOlmsted Pointという高台に上り、絶景を堪能する。ここのポイントは夕焼け時が特に美しいらしいが、今は夏時間のため日暮れは夜の9時頃を待たねばならない。さすがに遅くなってしまうので、泣く泣くその場を後にする。

夜はお決まりのBBQ。開始がちょっと遅くなってしまったので、真っ暗闇で肉を焼くことに。焼け具合がよく見えない。。。これでは肉を楽しむのは無理、と早々にあきらめて、酒と星空を堪能することにした。
いろいろと話をしつつ、結局夜中の1時頃まで呑み明かす。

2日目、二日酔いの頭を抱えつつ朝6時半すぎに宿を出て、Glacier Pointへ。ここもヨセミテ谷を見下ろすポイントだ。ヨセミテ谷からツアーのバスで登っていく。途中、ドライバーがいろいろ説明をしてくれたり、野生動物を見つけては乗客に教えてくれたりする。鹿や野うさぎなどはしょっちゅう見かける。今回は幸か不幸か出会わなかったが、グリズリー(巨大な熊)やコヨーテも有名だ。

熊といえば、小学生の頃だれもが歌っていた「森のクマさん」。
ずっと気になってたのだが、「クマさんの言うことにゃ 『お嬢さん お逃げなさい』♪」のところで、クマさんは一体何から逃げろと言っているのだろう。自分か? お嬢さんの近くにいると我を忘れて襲ってしまうほど自制心のないヤツなのか、クマさんは?

だれか正しい解釈を知っている人、教えてください。

話を戻して、ヨセミテ観光のつづき。

バスで1時間ほどで着いたGlacier Pointからの眺めはやはり素晴らしい。朝のせいか、ちょっともやがかかっていたのが残念だったが、ヨセミテ谷や溶岩でできたHalf Domeなどが一望できる。望遠鏡をのぞくと、Half Domeの岸壁をロッククライミングしている人たちが見える。頂上までには12時間ほどかかるんだそうな。

Glacier Pointから降りてきた後は、巨木セコイアの森などを見て今回のヨセミテ観光は終了。

2日という短期間で結構廻ることができた。今回は車やバスで廻る形だったけど、次来るときはじっくり時間をかけてトレッキングなどしてみたい。

 

2009年7月15日水曜日

免許取得申請拒否!?

Electiveのコースを取っていないので、水曜は丸1日授業が無い。
月曜のEffective Communicationという授業で行ったプレゼンテーションについてのフィードバック面談があった他は、フリーの時間。

車の免許を取得するため、筆記試験を受けにサンタクララ(Santa Clara)にあるDMV(自動車試験場)へ。バスで片道1時間。スタンフォードの学生証を見せればタダで乗れる。

アメリカは州によって免許制度が異なるので、エバンストンに移動したらカリフォルニア州の免許を使い続けることはできない。引越後90日以内にイリノイ州の免許をとる必要がある。ただし、他州からの書き換えの場合は、実技試験がいらず、申請書類と簡単な筆記試験だけで免許がもらえるらしいので、時間のあるサマーのうちにまずはカリフォルニア州の免許をとっておこうという算段だ。

受付で必要書類がそろっていることを確認してもらい、札をもらってさらに1時間ほど待つ。
ようやく順番が来て、新規免許申請の係に書類を提出したところ、なんと「あなたの申請は受理できない」とのつれない言葉が!

学生ビザ保持者の場合はI-20(米国内の教育機関在籍証明書類)の提示が必要なのだが、防人のI-20に書かれていた在学期間が今後2ヶ月以上残っていないことが問題らしい。
う~ん、やられた。私の場合、サマーをスタンフォード大学、秋以降の本課程をノースウェスタン大学で過ごすために、米国移民法上の扱いは転学という形になる。2年間有効のノースウェスタンのI-20は転学手続きが終わってから別途発行されるので、今のI-20にはサマーの期間しか在学期間として記載されてないのだ。

こればかりはゴネてもどうしようもないので、すごすごと試験場を後にする。
午後一杯を無駄にしてしまった。サンタクララDMVの周りはちょっとした韓国人街のようになっている。せめても来た甲斐をと、コリアンレストランで海鮮スンドゥブ・チゲをいただいて帰る。
 

2009年7月11日土曜日

ナパのワイナリー

今秋からStanford GSBに進むEFSのクラスメイトと連れ立って、ナパ・バレーへ。

道の両側にブドウ畑がえんえん続く様は圧巻だ。
3つのワイナリーをはしごして、ちょっとずつテイスティングをする。ブドウの種類による味の違いがよく分かる。ただ、同じ種類のブドウでもワイナリーが違うと当然味が違うらしいのだが、そこまではなかなか見分けがつかなかった。いろいろなワインを試したが、結局一番口に合うのは日本でもポピュラーなカベルネ・ソーヴィニヨンだとかシャルドネだという結論に。

ワインを十分堪能すると同時に、ワイン道を極めるだけの才能は自分にないことを実感した一日だった。
 
 

2009年7月10日金曜日

ホームレスを支えるコミュニティとは?

スタンフォードの教授が行っている地域のホームレス支援活動についての講義を聴く。

教会が行うホームレスの人々に対する炊き出しに対して、地域住民の理解を得るためにいろいろ奔走した教授自身の体験を研究としてまとめたものだ。ホームレスはUnhousedなだけであって、地域こそが彼らのHomeだ、という信念でいろいろと衣食住の提供をした、という話だったのだが、ちょっと納得できない点が。

今年の初め、日比谷公園の派遣村の騒動の際に議論になったように、単に衣食住を与えるだけではかえって被支援者の「この状況を脱したい」というモチベーションをそぐことになりはしないか。実際、派遣村のケースでは実は多くの求人があったにもかかわらず、それに応じた人は少なかったとのこと。

教授に被支援者のモチベーション向上の問題について聞いてみるが、あまり納得する答えは得られなかった。

やっぱり弱者支援の鉄則は、"Don't give them fish, but teach them how to fish."だと思う。


夕方、EFSのStudent同士によるサッカー。みんなジーンズにサンダルなど、普段着に近い格好で気楽に来ているのに、やたら気合入っている人がひとり。。。
 
 

2009年7月9日木曜日

銀行口座開設

やはりこちらの銀行口座がないとCheckが切れないなどなにかと不便なので、パロアルトのCitibankで口座を作る。

エバンストンに移動してから作ったほうがよいのかとも思ったが、話を聞いたところ特に不都合はなさそうだ。それどころか、スタンフォードの学生向けにかなり手数料等優遇されている口座を作ることができた。ケロッグに移ってからも使い続けて問題ないとのこと。ちょっと得した気分。
 

2009年7月7日火曜日

iPhone

EFSの方は今日から通常授業。
初っ端からいろいろと課題が出る。

授業後、AT&Tの携帯屋に出向いてiPhone 3G Sを購入。端末価格が高いうえ、Social Security Numberを持っていないために$500ものデポジットを要求される。なかなか痛い出費だったが、予想以上に便利で面白いアイテムだ。しばらくいいおもちゃになりそう。
 

2009年7月6日月曜日

Stanford EFS Day 1

独立記念日の三連休を終えて、今日はStanford EFS (English for Foreign Students) Programの初日。
要するにこれから大学院に通う外国人向けの語学リフレッシャープログラムなのだが、事前の情報によると結構クラスのレベルは高く、課される宿題も多いとのこと。

今日は初日なので、オリエンテーションとビザに関する諸手続きの後、セクション分けテストとウェルカム・パーティで終了。

   
プログラムは、大学院新入生になる人間が30名程度、研究機関等からの派遣で来ている研究者や実務者が25名程度で構成されている。前者と後者では授業内容等が若干異なるようだ。
大学院生向けコースについて、過去にはスタンフォードの他にも全米各地の大学院に行く人が半分くらいいたとの事なのだが、今回は他の大学に行くのは自分のみ。パーティでは、「なんでカリフォルニアではなくて寒いシカゴなんぞへ行くのか。そもそもあんなところに人が住んでいるのが信じられない。」などと責め立てられ、ちょっぴりアウェイ感。

日本人や韓国人ばかりが異様に多いのでは? との危惧もあったものの、セクション分けの結果、同じセクションに日本人は自分の他一人だけ。思いのほかダイバーシティが確保されたようだ。

   

2009年7月2日木曜日

スタンフォード大学キャンパスへ

サマー・プログラムを受けるスタンフォードの寮に、今日チェック・インする。

サンフランシスコ市内のホテルを発ち、カルトレイン(Cal Train)というベイエリアを走るコミューター・トレインの駅へ。スタンフォード大学のあるパロアルト(Palo Alto)へは1時間弱の汽車旅だ。
 

 
パロアルトの駅からは、キャンパスを巡回する無料シャトルバスも出ているのだが、今日は荷物も多いのでタクシーに乗る。まもなく見えてきたのがキャンパスの入り口と、そこから中心部につづく一本道、Palm Drive。

カリフォルニアの青い空と夏でもカラっと涼しい気候、そしてこの広く美しいキャンパスはやっぱり素晴らしい。こればっかりはスタンフォードで2年過ごせる人たちが純粋に羨ましい。まぁこちとら2ヶ月弱だけだけど、せめて夏の間はカリフォルニアを満喫することとしよう。
 
  

2009年7月1日水曜日

アメリカ入国!!

メキシコ雨季特有のものすごいスコールに遭い、さすがのバスも徐行気味ということで、オアハカからメキシコ・シティの友人M宅に帰り着いたのは昨日夜11時近くだった。
メキシコを発つ飛行機は7:25発。空港までの移動とチェックインに要する時間を考えると、朝5時前までには準備を整えなければいけない。案の定、一睡もできないままトランクと格闘する。

昨日のスコールの名残か、朝になってもまだ雨が降っている。Mによると、雨季であっても朝に雨が降るのは相当珍しいんだそうな。まだ暗く、水浸しの道路を送ってもらい、空港へ。 メヒカーナ航空でサンフランシスコまで、4時間半のフライト。
これから向かうのは、ケロッグ入学までの期間を使ってサマー・プログラムに出席することになるスタンフォード大学だ。
ヒゲ面&日焼け顔に麦わら帽子と、およそ勉強しに来たとは思えない格好で学生ビザを提示し、入国審査。パスポートの写真とのギャップに2, 3問答を受けるも、無事に米国入国。

アメリカへは9年前に初めてパスポートを取得して来て以来、6回目の入国。なんだかんだで1~2年に1回は来ている計算になる。サンフランシスコへは2005年以来、4年ぶり。やはり美しい街だ。
メキシコから来ると、アメリカがいかに豊かな国かを実感する。いろいろ問題はおありでしょうが、やっぱり押しも押されぬ先進国ですな、ここは。
  
港町の美しさと物価の高さをしみじみと身に感じながら、今日はサンフランシスコ市内のホテルで一泊。


おまけ: ぶらぶらと、フィッシャーマンズワーフの蝋人形館の前を通りかかったら、「あの人」が。。。

 

2009年6月30日火曜日

メキシコの旅 12日目 - モンテ・アルバン

オアハカ2日目。
といっても、夜までにはメキシコ・シティに帰らなければいけないので、それほど時間はない。
朝早くから、オアハカ近郊の古代都市遺跡、モンテ・アルバン(Monte Alban)へ。

モンテ・アルバンへはオアハカからバスで30分ほどなのだが、これがすごい道を通る。柵もない細い崖道をかなりのスピードで登っていく。これはかなりのヒヤヒヤ物である。
Monteというだけあって、遺跡は高い山の頂にある。ソチカルコでも思ったが、なぜ中南米の古代人は高いところが好きなのだろう。作物は育ちにくいし、付近の村との往来は不便だし、周りから攻められたら逃げ場は無いし、いいこと無いと思うのだが。。。

さておき、モンテ・アルバンの景色はやはり素晴らしかった。このメキシコの旅を締めくくるにふさわしい絶景である。メキシコに来て最初に行った遺跡であるティオティワカンに匹敵する、あるいはそれ以上の感動だ。
昨日のツアーのガイド曰く、今残っているモンテ・アルバンは8割がた復元されたものだということだが、この際それはどうでもいい。何千年も昔にこの場所にこれだけの大きな祭礼都市があったという事実だけで鳥肌モンである。

 
それぞれの祭礼施設に登り、そこから古代人が眺めていたであろう景色に想いを巡らせ、興奮冷めやらぬままオアハカ市街に戻り、再びバスに乗ってメキシコ・シティへの帰路に着く。